雨下 - 1029.06. -

雨が降っていた。止むことを知らないかのように。ただ、静かに。











「僕たちは雨のようなものなのかもしれないね」

軒先を雫が伝い、庭の紫陽花が綺麗に咲いていた6月だった。
討伐の合間の中休み、茶とつまみの菓子に舌鼓を打ちながら、
ぼーっとしている刹那のことだった。

「んあ?」

俺はあいつに聞き返した。

「僕たちは、雨みたいだよね、って言ったんだよ、和貴」

笑顔でヤツは答えた。相変わらずうそ臭い。
切羽詰っててうそ臭さが増しているような気がした。

――気構えが必要か。
そう思いながら饅頭を手に取る。

「何でそう思うんだよ。」

栗饅頭を頬張りながら問い掛けてみた。

「そうだねぇ……」

庭をぼんやりと眺めながら、あいつ…普賢は言った。

「雨は、空から降ってくるよね」
「あぁ」
「雨は、地面を濡らす。人を濡らす。すべてを濡らす」
「そうだな。外に出るのがうっとーしくなるぜ」

また饅頭を新しく頬張った。うん。うまい。
こんな雨の降る日は、茶でも飲んでのんびりしているのが一番だ。
討伐中はかまわな…いや、相翼院に出てるときに降られたら困るか。

「雨はすべてを濡らすけど…雨はやがて止んで、すべて渇いてしまうんだよ。
 まるで最初から何もなかったかのようにね………」
「――何が言いたい?」

思わず饅頭の手をとめた。
あいつの言葉を止める頃合だと思った。

今月。6月。

桜が来た。
千佳がいなくなった。
健が狂った。

こいつは当主になった。

あまりにいろんなことが起こりすぎた。
俺でさえそう感じる。
だったら俺より敏感なこいつはもっと負荷がかかってんだろう。
ただでさえ脆いくせに、昔から人に寄りかかるタイミングの遅いやつだった。

「言葉のままさ」

そう言って普賢は湯呑みを口に運んだ。
本当に飲んだのか分からないくらいの、静かなしぐさだった。

「僕たち、きっと渇いてなくなってしまうんだ。
 この時代に、一時的に降りてきて、きっとすべて終わったらなくなっちゃうんだよ」

流れるような綺麗な言葉。
それでいて残酷な言葉。

「雨みたいに跡を残さずに、ね」
「バカ言うな!」

思わず怒鳴りたてた。

「千佳がいなくなったから、そんなこと言ってンのか!?」
「違うよ」

俺の意思に相反するようにあいつはいたって冷静だった。
普段はぼんやりしているくせに、
こういうときだけ冷徹なほどに冷静なんだ…。
逆に、見ていて腹が立つ。
これが本心で、普段が道化じゃないかとさえ思えるからだ。

「いなくなったら、一緒にいたやつが覚えてるだろうが」

俺はこいつを言い負かしたくて、
本気で怒鳴った。

「うん、そうだね。じゃあ一緒にいた人がみんないなくなったら?」
「後のヤツが覚えてる」
「その人は、いなくなった人自身を知らない人になっていくよ」
「生きていた記録は残る。それにイツ花が…」
「イツ花…ね………」

だんだん、苦しくなってきた。
こいつに口論で勝てたことは、今まで一度だってない。
言い負かしてやりたい。
そしたら変わってくれそうな気がするのに。

「――イツ花…覚えていてくれるかな………」
「え……?」
「なんでもないよ」

笑ってごまかされた。
いつものパターンだった。
口論の終幕は、大抵あいつのはぐらかす笑顔だ。

「千佳の埋葬、どうすンだ?」

仕方なく話題を変えることにした。
二人のときしか言えないと思った。
普賢は今訓練期間で本当は桜のそば離れられねぇし、
千佳の肉親の健やまだ幼い由奈の前で言うのは酷に思えた。

「できることなら健ちゃんが落ち着いてからしたいよね……」

手の指輪を撫でながら普賢は言った。
その指輪は当主の証。

指輪をはめた者が、死んだ者――主に前の当主を天に返す。
それが、新しい当主の最初の務めだった。

「辛いときは言え。一緒にやってやる」
「言わないよ。和貴だって、いずれするんだから。」

当主は年長制だった。
拒否できることはまずない。
健は拒否したが、それは双子だったからだ。

譲り受けてもどうせすぐ死ぬ。

だから健は継ぐことを蹴った。
でも…健は生きている。
一人になって、狂いながら生きている。

千佳はまだ奥の部屋にいる。
早く空へ解き放ってやりたかったが、
今の健から千佳の躯さえ奪うのは、目の前で焼き葬るのは酷に思えた。

「人の身を焼くなんて、そんなの遠ければ遠いほどいいよ。」
「ヤな仕事……」

思考をはぐらかしたくて、手の中の饅頭を頬張った。

本当にヤな仕事だ。
一緒に暮らし戦った大切な人の体をこの手で無に還すのだから。
本来は鬼を葬るはずの力で。

「和貴もちゃんとやってよね。僕を焼くんだからさ、君が」

口の中の饅頭を、思わず喉に詰まらせた。

思っても見なかった。
この指輪をこいつから継ぐのが俺なら………。

「バ、バカ言うな。」
「ちゃんとやってよね……君が。」

嫌だ。
そんなの嫌だ。

「僕より先に死んで、僕が君を焼くなんて嫌だからね……」

言う普賢の、金の瞳はまっすぐで、
金の瞳独特の魔力を放っているようだった。
強い言葉を裏付けるような、強い瞳だった。

「僕より先に渇くなんて許さない…。渇いて空へ還るのは、地上に落ちてきた順でいい…」

拳をにぎりしめた。
唇をかんだ。

殴ってやりたかった。
でも誰を殴ればいいのか分からなかった。

道理には誰も勝てない。
みんないつか死ぬ。

「…死ぬかよ。いつもおまえが前列立ってるくせに」

薙刀士の前列だってありえない話だ。

「でも君はよく前に出たがるじゃないか。散弾銃もって」
「そりゃあ……戦果あげたほうがいいじゃないか…」

言い訳が苦しくなって再び饅頭に伸ばした手がすかった。
皿の上の饅頭はひとつ残らずなくなっていた。
見ると普賢の手に最後の饅頭があった。

……確信犯だこいつ。

その一連の動きを全部見られて、
俺はバツが悪くなって目をそらした。
きっと目の前には少し意地悪そうな普賢の顔があるに違いない。

「栗饅頭おいしかった? また後で一緒に買いに行こうか」
「……だな。今度はおまえもたくさん食え」

頬張るあいつに俺は言った。

「あはは。僕もう食べたからいいよ。和貴たくさん食べなよ」
「俺は食うさ。でもおまえもたくさん食え。」
「ありがとう」

あいつはきっと、さっきまでよりはやさしく笑って答えたと思う。
思いたかった。

全部なくなった皿とふたつの湯呑みの乗った盆を持って、
とりあえず俺たちは立ち上がった。

「由奈と桜にも何か買ってきてあげようかな…健ちゃんも…食べてくれるといいんだけどね…」
「だな…」
「酷かもしれないけど…、生きてほしいよね……。僕たちの為に」
「……あぁ」

玄関を開けて空を見上げると、雨は小雨になっていた。
帰る頃には傘はいらないかもしれない。

帰る頃には、すべて渇いているのかもしれない。
初めから雨など降らなかったかのように。






石畳をつたって門を抜けると坂道。
都まで少し歩く。

「濡れたくないねぇ」
「おまえ風邪ひきそうだしな」

傘を開きながら意地悪含みで俺は言ってやった。
さっきのささやかな仕返しだ。

「ひかないさー!病弱扱いして」
「わかったわかった。桜に移すなよー」
「またそうやって!」

珍しく頬を膨らませて先を行く普賢を追いかけて、
俺はあいつに肩組を仕掛けた。
傘がずれて、二人で少し濡れた。

「なんでも言え。俺はおまえの味方だ」

「――ありがとう」





雨が、降っていたんだ。

空から静かに、降っていたんだ。



そして俺たちは渇いていく。

この家にだけかすかな湿り気を残して。

普賢と和貴は年は離れてるんですが、親友です。親よりココロを許してる人。
俺屍って親といる時間がすごく短い子の方が圧倒的に多いから、縦より横の繋がりの方が強そう。
もちろん親は親で大事だとは思いますが。

桜は普賢の娘、千佳と健は普賢より先にいる双子、由奈は健の娘です。
千佳が先代当主で、彼女が亡くなって、普賢が当主になったばかり、
つまり月末だと思います。
千佳が一人で行ってしまったので、健は一人で狂い始めています。

1029年は普賢を軸にいろいろごろごろしてます。
6月だけで、これの数倍の量があります。
少しずつ形にして、流れを作っていけたらと思います。

お読みくださりましてありがとうございました。

2004.12.up